己を失って惰性的に生活を続けているというのなら、本質的に生きているとは言えない
一人ひとりが強烈な生きがいに満ち溢れ、輝いて生きる社会=常に死と隣り合わせの世界を創り出すんだ
by岡本太郎
先日、 東京・南青山にある「岡本太郎記念館」にいってきました。彼のアトリエ兼住居を美術館として公開しているのですが、十数年前ことあるごとに通っていた日々を思い出すとともに、カメラマンを本気で志したことを久々に思い出したのです!
なんでこんなに強烈なことを忘れているのか
私のプロカメラマンとしての道のりは、20代の終わりの十数年前結婚式撮影からはじまったのですが、当時は専業主婦であり娘が一人。
家庭生活におさまることができず、趣味をこえてデビューしたものの、人の一生の節目である大切な記念のウエディングフォトの仕事。のんびりと主婦をしていた私には相当プレッシャーであり、その当時はまだフィルムカメラで、カメラ二台にストロボをつけてレンズを数本持ちながら、挙式と披露宴あわせて、短くとも5時間からへたすると8時間、決して大切なシーンを逃さぬよう集中し続けることに相当プレッシャーがかかっており、ここまでして仕事をする理由はなんだろうと少し甘い気持ちがないわけではなく、いつやめてもいいという気楽さで逆に働けていた。
それでも仕事という理由で堂々と子供をあずけて、東京に撮影にこれる。
出張費もでてついでに観光というのは、当時の私からしたらとても魅力的で、早く結婚して旅行などあまりできなかったこともあり東京観光をあちらこちら楽しんだ。そんな中、「芸術は爆破」だという少々エキセントリックな言動で興味のあった岡本太郎氏のアトリエにいって、その場のエネルギーの強さにクラクラして彼の生き様と作品を楽しんだあと、館内にあるショップで手に取った彼の著書『自分の中に毒をもて』
強烈な文章の中でもとくに心に突き刺さった冒頭の言葉
いつやめてもいいなどという甘い気持ちで仕事をしている自分が情けなくなったし、子を預けてまで好きなことをしているただの道楽のような自分が情けなくなった。いや道楽でもいい。道楽でさえ真剣にやれというメッセージととり、どうせやるなら、思いの限りやろうと思った瞬間。
今思うと私はいちいち昔から熱い。岡本氏に傾倒していた20代後半から30代前半の私がその発したメッセージをどこまでうけとっていたかは危ういけれど、すっかり忘れていたのにもかかわらず、未だに心のそこに根づいている。。あれから10数年、子供も二人ふえ慌ただしく生きてるうち、ともするとまた惰性で便利にいきているかもと振り返りつつ、過去必死に作品を作っていたことを思い出した。
続く・・
館内も写真取り放題、でかい男だ