写真を使った好きな広告を一つ選んで作品を作る授業での一枚
麦焼酎「いいちこ」のポスターの真似。
どうやってカメラマンになったの?②
ー写真専門学校時代ー
もともと写真が趣味では全くなく機械音痴でもある私は
カメラに触れるということもなく24歳の時1回目の結婚をいたしました。
すぐに娘が生まれて、幸せであるはずの専業主婦に
居心地の良さが見つけられずに、鬱々とする日々を
ちょうど弟がギタリストで東京や札幌でライブなどをしてステージで演奏するのを見るようになった時期であり、余計にこのままではいけないと焦燥感が募るようになりました
よくわからないけれど
私のあっち側に行くんだ!
見る方ではないステージだ!
と心が疼き出しました
今はあっちもこっちもないとわかります。
若かったのですね
でもこの当時は自分が何がやりたいのかもわからない。
とにかく習い事を手当たり次第やったり、絵の通販を受けてみたり数年。
最後に残ったのは、お花のレッスンと初めて買った一眼レフでパシャパシャ撮る
面白さに目覚めた写真でした。
最初の一眼レフはペンタックスMZ3。理由は可愛かったから
ちょうど娘が幼稚園にあがると同時に
どちらかを本格的に学ぼうと選んだのがカメラ。
そして平成14年春 28歳の時にほぼ18歳の若者と一緒に
写真の専門学校に入ったわけなのです。
この時代はとても充実していました
十代の周りのレールに乗っかって仕方なく通ったぼんやりしていた学生時代と違い
自分で選んであえてきた道。
先生の講義を輝くような眼差しで受けていたのをいまでも思い出します。
写真の専門学校で何を学ぶかというと ざっくりですが
・ダークルーム(フィルム時代でしたのでフイルムをプリントしたり現像したりするための授業)
・カラープリント
・
印刷・編集
・写真概論
・写真美学
・映像作品
・ロケーション撮影
・スタジオ撮影
・デザイン
・ビジネス実務
・文章表現
・時事
・取材 編集
などなど
授業では
最初モノクロ撮影をメインとしてすすめられました。
色がないことにより 抽象的なものの形・様子をみる訓練
光と陰の具合がよりわかりやすい
そんな感じだったと思います。
学校の勉強も熱心に取り組みつつ
その頃三歳くらいであった娘をモデルに精力的に作品を作っていたのもこの頃です。
家族に見られると気まずい作品も結構作っていた。恐ろしい母親だったと。。いまとりあえずグレることなく育ってくれてありがたいなと思います
続く・・
これはまだ遠慮気味。色むらがあり下手くそなプリント。
講師の先生の一人にカメラを志すならいつ何時もカメラを持つように
と言われ単純な私はほんとにいつもぶら下げていました.