2003年 大通公園近辺
どうやってカメラマンになったの⑦
車の運転もできるようになった私は
道内各地に 撮影に行くようになり
運転することと
カメラマンを始めた時期がほぼ同じなので
羽がついたように飛んで歩きました。
が
撮影の仕事の方は最初は新人ということで下手くそでもまだ多めにみてもらえましたが、中々うまくならないことに本社の方でもチェックが入り
東京からわざわざ再レクチャーで人が手配されるほど
落ちこぼれでありました。
そして
撮影後プリントした写真が数百枚会社に送られてきて
それを撮影者がチェックしにいくのですが、ほかのカメラマンにも
見れらる環境であり、
できが悪い時は生きた心地がしない・・
違うカメラでの撮影になると、途端に対応できず
初めてのお寺の集合写真撮影でモタモタして怒った親族のお父様がいなくなってしまったり(この当時645っていう大きなカメラで撮影することがあったのです。
フィルムを入れるのでさえ何回練習しても苦手でした(・・;))
こんなの↓
自分なりに努力はしたつもりですが
中々うまくならず、評価もされず本当に辛かった
で も
もっとどっぷり浸かればうまくなるのではと考えた私は
二年ほどしてそのブライダルの会社に正式に入社。
関西の大きな式場に撮影の勉強にいかせてもらったり
仙台・東京・関西方面で人が足りないときに撮影に行くこともあり
少しでも何か吸収できればという気持ちで
実に多くのカメラマンに話を聞いたり他の方の写真をできる限り見て勉強したり、
そこの会社でトップと言われるカメラマンのレクチャーに入らせてもらったりしました。
でもです。 写真が上手くなったか???
今思うと、違う能力が伸びたような。。
私は人が好きで、いろいろな人の話を聞くのが好きだ
その人がどんな人かを知るのに興味がある
実際 このころカメラマンに会場を選んで仕事を発注したりする仕事をして
(みんな自分のギャラに関わってくるので真剣で文句もいう人もいたけれど)
そこを上手く調整して、向き不向きを見極めて発注することに生きがいを感じていました
いろんな人に会うこの仕事が意外と向いていたのです!
?ちょと違う
仕事によって人に会うことが好きということに気がついたのです
これは二十代の社会適応能力がないと思い込んでいた自分からすると
画期的発見!
でも
カメラマンは向いてないのでは
と何度も何度も思いました。
それでも続いたのは
10代は親が厳しく、遊びというものをほぼ味わったことがないまま 早くに結婚をして子供を授かり、外の世界を知らなかったので
見るもの聞くもの全てが新鮮
撮影の仕事で飛行機に乗ってる自分に感動。そういうことがとにかく嬉しかった
考えが浅はかだけど
そしてカメラマン仲間と撮影後
大いにお酒を飲み、写真について語った
そんな日々。そう私はこの時代に初めて青春!久々聞いたね
というものを味わっていたのです。
続く・・
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