2004 道庁の桜
どうやってカメラマンになったの⑥
生半可な気持ちでは結婚式の撮影の仕事はできないと思った1度目のレクチャーの後
まずは形からと思った私は
先輩が持っていた同じカメラとレンズを揃えようと、カメラ屋さんに行き
その当時最上位機種であった
CANON EOS1V二台
レンズ3本
スピードライト2灯
機材だけはベテランのカメラマンさんたちに負けないラインナップで
揃えてしまったのです。
総額 80万〜100万くらい・・?
これで逃げられん自分
結婚式の撮影は一回入ると
拘束時間5〜6
時間
その当時で2万5千円のギャラ
1日で稼ぐ金額としては
パートに出るよりずっと高額なわけですが、その分の機材投資がなかなかの額ではあります
今思うとそこまでお金をかけない機材でもよかった
でも持ち物で箔をつけようと、そこに真っ先にエネルギーを注いだ
そのおかげで長く続いたという部分もあり
誤魔化された部分もあった
それでなんとかレクチャーをクリアし
いよいよデビューとなったわけです
初めて撮影に行った先は
札幌駅近辺にある、調達品がヨーロピアンな某ホテル
シーズンには婚礼が一日何組もおこなわれるホテルで
会場も廊下も人がごった返す。
だいぶ雰囲気にも慣れたつもりだったので、ご新郎ご新婦さん・介添えさん・スタッフともうまくコミニケーションをとり、なんとかそつなく初めての撮影は終えれそうな雰囲気だったのですが・・
その当時私が所属していた会社は関西から参入してきた新しい会社で
既存のスタイルにはないスタイリッシュでお洒落な写真を作ろうという
理念のもとありました。
なのでそれまでは当たり前のように、お式をするホテルの中にある写真館がアルバムを依頼され撮影を担うのが当たり前だったところに参入してきたカメラマン・・
気持ちよくないのが当たり前でしょう
その時の撮影のお客さんのご希望が
、ホテル写真館で頼んでいる集合写真の撮影風景などの模様もとってほしい
とのご要望で(要は撮られるところも撮ってと)
通常なら他業者は立ち入りNGも、写真館から許可を得てるので大丈夫と言われ入ったのですが
入った瞬間ものすごい形相の写真館の方々
速攻出るように
言われましたが
「お客様からのご依頼で」
と伝えたものの
他のスタッフに
「聞いてるか!
」「いえ聞いてません」
ガビーーん
つまみ出されるように追い出され・・
呆然とするのもつかの間
ここはお二人の生涯一度の輝かしきご婚礼
そして私の華々しきデビュー戦
事態は把握できないけれど、できる限りのスマイルで
無事撮影を終えなくてはいけない!
何事もなかったようにそのまま最後まで仕事を終えました。
このころのいろんな経験のおかげでどんな時でも笑顔ができるようになりました
というより、今は周りに嫌なことというのがなくなってしまった。この頃に比べる全部が楽しく感じて、常にニヤニヤしているかも・・
会場の隅で後片付けをしているところへ
先ほどの写真館のボスらしき人が現れ
「あなたね。私たちも商売でこの仕事をやっているんですよ
邪魔されたら困るんだよ
云々かんぬん・・・・・」
理不尽だ
でもこの仕事はホテルの関係者すべての人に嫌われたらおしまいだ
と思い込んでいた。始終低姿勢で言い訳もせず頭を下げた
今思うと悔しーーー
初仕事を終えた安心感と
なんだかよくわからないけど怒られたショックで
オイオイ泣きながら事務所に
戻りましたとさ・・
まあこんな経験が、常に、ザラにあり
私の心臓は徐々に鍛えられていく
車の運転ができるようにもなったのもカメラマンになってから。
10年ほどペーパードライバーで
私は男性の横に乗ってるタイプなの♡と思っていました
なんつってた非常にいけ好かない女だったのですが
会社の店長に
カメラマンのくせに運転もできないのかと言われて
カッチーン←この短気のおかげでたくさんのものも失った気がします
走り出してみたら乗れた。
これで札幌以外の撮影の仕事もどんどん任せられるようになり
さらに熱を入れて仕事にのめり込んで行きました
続く・・・
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