翼とスカートにポインセチアを撮影したものを布にプリントして切り取り娘に着せた。ホテルを予約し寝泊りしてまで撮影してたころ。いま思うと泣き言ひとつ言わなかった娘が不思議だ。
まだ当時珍しかったデジカメで撮影した。もうデーターはない。プリントしたものを複写
カメラマンになったころをおもいだす2
(カメラマンになったころをおもいだす1はこちら)写真の専門学校にいっていたこともあり、作品制作というものには慣れていた私は当時幼稚園だった娘をモデルにいろいろな表現をたしなみる。
岡本太郎氏の『芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない』
単純な私はすぐにストレートに感銘をうけ、幼稚園の少女という愛らしい時期にあえて暗いエロスをかきたてるような写真をつくり、海に撮影にいったときには、落ちていた買い物カートにのせて海において撮影した(いまだったら捕まるかも・・)※いつかこの時期の写真展をやりたい
花がすきなので 花と娘をからめる撮影もし、植木鉢にいけてるふうの写真(言葉だけだとより怖いですね)
なんなのかよくわからない自分の中の突き上げるような衝動に身をまかせ本当に夢中になって写真をやった時期でした。
(娘にはのちのちあのとき嫌だったといわれますが)
ただ仕事の撮影では作品とは違うスタンスで、現在の撮影スタイルと通ずるやり方です。
ウエディングフォトの現場では男性陣に技術の面ではどうしても敵わないと思い、私が生き残る道は撮影される側が不愉快にならないような挨拶や気持ちのいい撮影態度を必要以上にこころがけるしかないと思いそこに必要以上の力を注ぎました。カメラマンの印象も相手の表情に影響があると考えたからです。
そしてどんな外見の新婦さんでも、私は結婚式撮影は主に女性のためにあると考えてるので、メイクシーンから入らせてもらえるその時間のうちに、表情をよくみて、まわりの人とのやりとりからその女性の一番美しい角度と雰囲気を感じ取り、一生の中で一番美しい写真にしようと心がけて撮り続けました。
そしてよく撮影が早いといわれますが、私が属していた結婚式撮影の会社は、ただ結婚式の記録をとるだけではなく、合間に二人のイメージ写真を撮るという事をやり始めた先駆けの会社だったので、まだそんな撮影に当時慣れていない・お式の進行をスムーズに進めたい結婚式会場のスタッフの顔色をうかがいながら時間をもらい、素敵なイメージ写真を残さなければいけない・・胃がそうとうやみました。
早くしてくれよ、というプレッシャーの中の撮影(もちろん当時の私がまだおどおどしてて心もとない態度だったのも原因だと思いますが)
でもそれらの経験のおかげで、いまプロフィール撮影時とっさに判断がきくようで非常に役にたっている。
物事はほんとに無駄な経験は一つもないなと思う。あの時期、好きな事だけやりたいのにって逃げなくてよかったと思う。
私のところにきてくれたお客さんはすべて輝かせるという気持ちで自信をもって撮影できるのはこの時期のおかげであり、岡本太郎氏の強い言葉にもささえられていた。
『自信はない、でもとにかくうやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。またそれしかないんだ。』
そういう風に影響をうけてやってきたことは、正しかったかよかったのかは正直わからない。
まだ生きてるし。
でも、写真を志した頃の気持ちをいま思い出したのは、よかったようだ。
続く
フォトクリエイターKumiの撮影イベントに参加しませんか
岡本太郎氏のアトリエ。こんな創作場所は夢のよう。撮影にでかけて夜には写真をやくという暮らしがしたいな